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國學院大學 空手道部

 空手道部の夏休み行事の遠征合宿に続き、現役学生とOBとの恒例バーベキュー大会の日が近づいた。今年は異常とも思えるこの暑さで参加・不参加を決めかねている。

 我が空手道部は昨年、創部60周年記念大会を執り行なった。私が入部したときは空手部だったが、いつ頃からか空手道部に改称された。かつて1期後輩の次呂久英樹が師範となり、全日本大学空手道選手権、東日本学生空手道選手権大会など三大タイトルを総なめにした年もあり、“大学空手道に國學院在り”と囁かれた時代もあった。
この空手道部OB会を「紫魂会」と云う。3年前までの16年間、この紫魂会の事務局長を務めた。その間に会長が4名替わった。紫魂会の会員名簿には、僅か300名弱の名前きり記載されていない。1年か2年在部した中途退部者を準会員として加えれば、軽くこの10倍や20倍の名前が記される。

 時折、院友(國學院卒業生)で、学生時代は空手部員だったと得意そうに武勇伝を話す人に出会うことがある。こちらがOB会の事務局長だと云うと、バツの悪い顔になったり急に黙って姿を消したりする。

 1年生の時に私と入部した同期の者は50数名。2年に進級すると1割弱の5名が残った。名簿には物故者も入れて4名。5期下は百数十名の入部者が、名簿には13名だ。それだけ稽古やしごきがきつかったのだろう。そのうっぷんを晴らすように渋谷の街中での喧嘩や警察の厄介は日常茶飯事だった。大学からの注意も再三で廃部の危機もあった。だが左翼排除の尖兵と自負していたお陰か、いつも処分は免れた。

 学内では、先輩から預かったパーティ券をだれ彼かまわず押し付け、嫌がられる存在だった。大人しそうな神社の子弟は肩を掴まれてよく餌食にされた。そのせいか、今でも訪れた地方の神社で空手部に居たと云うと、“えッ”という顔をされることがある。

Img_000811  3年生の時にロック・バンドから誘われジャズ喫茶などを廻り始めた。稽古も休み勝ちになったが、当時は神さまとも思えた4期上の西原健吾監督に、稽古休むのは大目に見るから少しは有名になれよ、と小突かれた。西原先輩は、その頃渋谷を根城に一世を風靡していたインテリヤクザ安藤組の幹部に納まっていた。何か問題が起きたらすぐ相談しろよ、と配下の地回りまで付けてくれた。

 卒業して間もなく、神宮前の喫茶店で、西原先輩に恫喝された他の下級組員が恐怖に駆られ至近距離からピストルを乱射し、先輩は数発の銃弾を浴び壮絶な死を遂げたことを知らされた。

 創部した初代の小倉基先輩には永年名誉会長をお願いしている。都議会議長から渋谷区長を最後に、現在は政界から引退されている。まだまだお元気だ。半世紀に亘り、小倉先輩には個人的にもいろいろとお世話になった。

 空手道部はここ何年も新入部者の減少状態が続いている。部員が僅か十名以下となった部の凋落ぶりは著しい。過去の栄光は遥か彼方へ行ってしまった。だが、少数精鋭で頑張っている学生の健気な姿を見ると、なんとかしなければと焦りを感じてしまう。
これから空手道部はどうなってしまうのか。我われOBの誰もが“強豪復活”を夢に見ながら、答えを出せずにもがき苦しんでいる。

 嗚呼…

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