フォト

Twitter

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

« 霊能者 | トップページ | 「松屋不動尊祭り」 復興祭奉告祝詞 »

松屋不動尊復興祭

 半月ほど前、友人の佐藤正哲さんから祝詞を作って欲しいと頼まれ、雑誌のコピーや祭り開催の主旨を書いた資料などを渡された。

 昭和5年初秋、北海道・道北の中川郡美深町で一つの小さな奇跡が起きた。

 当時、前年にニューヨーク・ウオール街の株価暴落が引き金となって世界金融恐慌が起き、関東大震災の後遺症がまだ癒えない日本にも金融恐慌が直撃した。国内では失業者が溢れ、三・一五事件、四・一六事件で思想弾圧があり、中国では関東軍が張作霖を爆殺して硝煙のきな臭さが拡がり、世の中は騒然としていた。

 そのような世情に加え、天候不順による長雨などで凶作となり、とくに北海道や東北では飢饉の被害が兆し始めた。

 9月7日の夕刻、束の間の晴れ間に夕陽が西の空を焦がす頃、突然、美深町・松屋洋服店のトタン屋根がパラパラと音がした。何だろうと思った主婦・筒井フミが出て調べてみると、それが米粒だと判った。丹念に拾い集めると三十六粒と半分に欠けた一粒。状況から作為的に誰かが投げたとも考えられない。以前からそのトタン屋根の部分には雪が積もらないこともあり、これは何かの啓示かと思い始めていた三日後の9月10日、トタン屋根に奇妙な姿が見えた。驚いたフミ女は近くの写真館の主人を呼んで撮影してもらったところ、それが不動明王であることが判明した。フミ女はお姿の現れている鉄板を切り抜き、これを祀った。

 それからフミ女に不思議な力が備わり、病気治しなどで能力を発揮するようになる。口に水を含み、それを霧状にして患部に吹き付け指圧などを加え、最後に数珠で撫でるといった施術で、多くの難病・奇病を治した。足を痛めた農耕馬をたちどころに治すなどの評判を聞きつけた人々が、一日に70人以上も押しかけるようになった。フミ女は一銭の治療費も要求したことは無かったが、「松屋不動尊」には人が集まり、9月10日の大祭には芝居や相撲、映画や浪花節などの興行までもが行なわれるようになった。毎月の月例祭にも数百人が集まり、美深神社の大祭を凌ぐような賑わいを見せた。

 しかし戦後間もない昭和22年1月、フミ女は脳溢血で倒れ、病床に着く。戦後の混乱もあってか、フミ女独りの能力で拡がった松屋不動尊の信仰も次第に衰退して行き、毎月の祭りもやがて忘れられるようになった。
佐藤正哲氏はフミ女の孫に当たる。今日・9月10日に、63年振りに祖母の遺志をついでこの松屋不動尊の祭りを復興させると言う。佐藤氏からは再三、神事の懇請されていたが、11日都内での講演を依頼されていることもあり、お断りをして祝詞を佐藤氏が奏上するようお願いした。

 今日、既に午前中の祭事は終わっている筈だが、オープニングにはアイヌの浦川冶造氏が神に祈る「カムイノミ」の儀式を行なう。他に中国の笛奏者や金沢から見える舞踊家元の奉納舞など、華やかな式典になっているだろう。
浦川氏は、アイヌで初めて国会議員になった故・萱野茂氏を首都圏で支える会の会長を務め、東京アイヌ協会の会長の要職に着いている。

Img_0002115_2    半世紀前、高校を卒業して大学へ行くまでの春休みに、平取町・二風谷の萱野茂さん宅に10間ほど泊まっていたことがある。父方に僅かにアイヌの血がはいっているのを聞き、誰かの紹介で萱野さん宅に辿りついた。金田一京助先生がこの机に向かって研究に励んでおられたという部屋で寝起きし、萱野さんからアイヌの歴史などを聞いた。これが機縁で萱野さんの弟の貝澤留治さんが5、60人のアイヌの人たちを引き連れ、父が請け負っていた地下鉄工事に従事するようになった。

 萱野茂さん宅で撮った懐かしい写真が出できた。

東京の残暑は厳しいが、北海道の道北はすでに秋の風は立っているだろう。

 

« 霊能者 | トップページ | 「松屋不動尊祭り」 復興祭奉告祝詞 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

神道・古神道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/48309/49408137

この記事へのトラックバック一覧です: 松屋不動尊復興祭:

« 霊能者 | トップページ | 「松屋不動尊祭り」 復興祭奉告祝詞 »