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チベット問題

 尖閣問題から端を発して、連日続いていた中国の反日デモの報道が下火になH20_0321 っていたが、漁船衝突時のビデオ流出でまた風向きが変わりそうだ。中国政府のデモ黙認は学生や一般民衆の不満を晴らすガス抜きとも伝えられていた。デモの内陸部へ移行は、高度成長の恩恵から取り残された地域が、不満の矛先を政府に向ける可能性があった。だが、結局、これもコントロールされたようだ。

 これに呼応するかのように、チベット族自冶省や州で、チベット族の学生達が教育改革に反発して抗議デモを起こした。政府が全教科中国語での授業を義務付けたことに対し、チベット語の喪失に危機感を持った民族学校の学生が行動を起こしたもの。この問題は緒を引きそうだ。

 7世紀からサンスクリットを起源とする独自の表音文字を使用するチベット語は、現在中国国内のチベット族在住地を始めブータン、ネパール北部、インド・カシミール州などで使われている。チベット人の就職難は中国語を話せないためと語学教育を強化する政府側と、伝統的な民族言語の抹殺と訴える学生の主張との隔たりは、埋まりそうもない。

 しかし、これまでの歴史を見ると、言語の強要などまだ生ぬるいと思えるほどチベット民族への弾圧は酷かったようだ。チベット人が多く住むチベット自冶区などの本当の悲劇は、情報が隠蔽されて我われには伝えられて来ない。チベット人女性に検査と称して不妊手術を行なってしまうといった実情を、チベット薬学を学んでいる北海道の友人から何度か聴かされていた。だが最近までは、辺境の遠い国での出来事と思っていた。

 先月、都内の会場で開催された「チベットの宗教迫害と人権弾圧」というセミナーがあった。講演されたのは以前から知り合いの方たちだが、変わった経歴を持つ僧侶2名と宗教ジャーナリストの3名。上智大から大正大に転じ、真言学を学んで真言宗智山派の住職となり「チベット問題を考える会」代表を務める小林秀英氏、東工大大学院で理工学研究科の博士課程を修了後、米国に留学された善光寺玄証院住職の福島貴和氏、そして宗教を中心に現代社会の諸テーマに取り組む著名なジャーナリストの室生忠氏。

 8月初めに日本の人権問題を検証するEU域内の11カ国から20数人の委員が来日し、憲政記念館での討議に出席した。だがこの講演でチベットの実情を知らされると、先頃の先進国の人権問題などまるで霞んでしまった。
我われは“中国は広い”というイメージを持つ。ここに中国人の本体となる漢族と55の少数民族が住むとされる。(しかしこの数字は中国政府の発表した数で、この中に台湾も含まれている。当然台湾は除外すべきだ)

 講演で知り得たことだが、本来、中国人の領土は全体の37%で、あとはチベット族、ウイグル族、モンゴル族、回族、満州族などの土地を併合して中国領土と称している。

 現在のこの中国領土の4分の1が本来チベット人の領土だそうだ。もしチベットが独立して中国に侵略された土地を回復すれば、世界で約10番目の面積を持つ国となる。

 昭和24年(1949)に中華人民共和国が成立した。翌年には人民解放軍が東チベットに侵入する。この直後からチベット人による抵抗運動が起きた。昭和31年には中国政府がチベット自冶区準備委員会を設立、統治に向けて始動する。これに反対する更なる抗中運動が起き、世に知られたチベット動乱となった。

 当時、東西の冷戦のなかで、チベット人ゲリラはアメリカのCIAから資金や武器の提供のほか戦闘訓練まで受けていた。人民軍が侵略して10年後、30万人の民衆の蜂起で動乱が頂点に達した昭和34年(1959)、ダライ・ラマは首都ラッサを脱出、チベット臨時政府を樹立してインドに亡命した。約8万人のチベット人がこれに従って亡命した。この民衆蜂起で8万6千人が死んだ。

 その後、ネパールに基地を移して抗中ゲリラ活動が展開されるが、昭和47(1972)年、米中の国交樹立により、CIAはチベット国内やゲリラへの資金や武器の支援を停止してしまう。補給を絶たれ、人民軍の武力鎮圧で多くの人々が処刑された。2年後にはゲリラ組織が解体され武力抵抗は終わった。東西の冷戦構造のさなか、チベットは大国のパワーゲームに弄ばれ、そして見捨てられた。少数民族の悲劇でもある。

 中国の人民解放軍の侵略後、世界の辺境地チベットの内情は、正確に伝えられていない。一説には、人民軍によって当時の700万から800万の人口のうち、約100万から120万の僧侶や住民が殺された記録がある。

 チベット民族は乾燥した高原の環境のなか仏教への信仰を核とし、独自の文化を育んで来た。若干のムスリムやキリスト教徒も住んでいるが、大半は敬虔なチベット仏教徒である。僧院は学校の役目をしており、ある年齢がくると僧院に入る。かつては6千数百の寺院に人口の10%弱、男性の4分1の約百万人近くが出家していた。それが昭和51(1976)年には、99%の人が消され、寺は破壊されて僅か17寺きり残っていなかったという。文化大革命で紅衛兵が文化遺産を破壊していた不幸な時期とも重なった。

 チベットの悲劇はまだ続いている。日本人とチベット人が作った軍旗が国旗になるなど、チベットと日本の絆は強い。チベットとの関わりの深い国は、中国を除けば日本が一番という識者も居る。

 中国のチベット侵略は、漢民族の移住先と地下資源の確保、戦略上の位置などに拠る。そしてチベット弱体化の内部的な要因は、迷信やあきらめ、依頼心などだと言う。

 この侭ではチベットは中国に飲み込まれてしまうだろう。貴重なチベットの文化も徐々に消えて行く。いま、我われは何を為すべきか。そして何をしてやれるのか…。チベットの仏教文化を後世に伝える為に、日本の仏教界や宗教者は手を携えて立ち上がるべきだろう。

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