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憂国烈士慰霊祭 ①

201010161149000  昨年の10月末、話題になった新装の羽田を発ち、韓国へ向かった。ソウルの西大門独立公園で行なわれる恒例の「憂国烈士慰霊祭」に、初めての神道儀礼で参加するためだった。韓国が近くなったとは云え、所用が重なりとんぼ帰りの慰霊祭参加となった。

 当日は午前10時から式典開始。晴天だが風が晩秋を思わせるやや冷たい空の下で執り行なわれた。

 憂国烈士とは日韓併合に反対して独立のために闘い、命を落とした二千八百三十五柱の人たち。この憂国烈士慰霊祭に十年前から毎年、九州の真言宗の僧侶が数名参加されている。昨年は十年のひと区切り。さらに日韓併合百周年でもあり、現地の主催者から神道サイドへ参加の要請があった。著名社の名誉宮司始め何名かの名前が挙がっていたようだが、結局、装束と祝詞を携えて私が行くことになった。

 細かい事だが、参加して日本と韓国の“式典の始め方”の違いを体験した。日本では式典の開始前に準備はすべて終えている。だが韓国では式典が始まってもまだ準備が終っておらず、スタッフ等が会場を動き回っている。そのためか式典の冒頭には歌手が曲を歌う式前行事があり、歌手が二曲を歌い終えるころには準備が整っているという具合だ。韓国では歌の間に準備を終えるのが習慣のようだ。

 歌が終ると司会者が開会宣言。国歌斎唱、黙祷、各団体代表による献花、大会の辞と挨拶、追慕の辞と続く。その後に宗教者が登壇して慰霊祭を行なう。

 会場の参加者の中には黒い軍服のような制服姿で、胸には幾つも勲章を付けた在郷軍人と思しき一団がいる。年配で髭を蓄えた人が多い。神社参拝を強制された記憶を持つ年代の人たちだろうか、心なしか最前列に座る私への視線が厳しく感じる。ほかに少数だが在韓の日本人も居る。

 仏教の数名の僧侶による読経のあと神道儀式を行なう。修祓のあと鎮魂の岩笛を吹奏。青空の下で澄んだ音色が尾を引いて拡がった。そしてマイクを通して祭詞を奏上。二礼二拍手一拝の作法。韓国でこのような神道式の儀式が行なわれることは殆んどないのだろうか、辺りはシンとした空気に変わった。儀式が終ると、千数百人が埋めた野外公園の雰囲気が確かに変わっていた。司会者の祭詞の通訳にも会場は張りつめた静寂の侭だった。

 式典が終ると在韓の日本婦人会の方たちがやって来た。“やはり神道の儀式は厳粛で清々しい”、といった感想を戴いた。

 昼食後の控室に来た現地新聞の取材もそこそこに、会場から空港に向かい、慌しく帰国した。有名ホテルのスイートルームに宿泊させて貰ったが、滞在は僅か1日。本当に韓国は近くなった。

 奇妙に思うことが一つ。日本側の担当者に祭典の趣旨を聞き、祭詞の中に最も知られた烈士の安重根とアジアのジャンヌ・ダルクと言われた柳寛順(ユガンスン)の名前を入れる打ち合わせをした。祭詞の口語訳も事前に渡しておいた。だが当日、なぜか安重根の名前を外して欲しいと言う。

 後日聴いたところ、あの施設には安重根が祀られていないとか。抗日の国民的英雄が、なぜ祀られていないのか…。まさか日本への気遣いではあるまい。多分、安重根が北朝鮮出身であることと無関係ではないのだろう。

(安重根については以前“神道つれづれ”で少しだが触れている。)

次回は当日奏上した祝詞を掲載する。

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