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麻と大和の心

0061  麻の歴史は古い。最古のものは縄文草創期(13000年~10000年前)の大麻製で、縄として使用されていた。7600年前の早期には麻を繊維化しており、前期(6000年~5000年前)には編み物の材料や、種子を食料としたことも土器の付着物から判明している。麻は古くから繊維や食品としての果実、油の化工などに利用されてきたが、大自然の神から授かった神秘な霊力の籠る神聖な植物であり祭祀にも欠かせないものとなった。縄文から続く麻の神聖さと神秘な霊力は、稲作と共に移住してきた天孫族に継承された。

 天孫族が渡来した以前の縄文時代は故意に隠蔽されて来たとも言われている。いまの神道の起源は稲作伝来のこの弥生時代に在る。稲作の伝播は各地に拡散していく。“日本民族は農耕民族”という概念は神道に大きく作用する。

 神話に誰もが知っている天の岩戸開きの場面がある。スサノオの悪行に耐えかねて天照大神は天岩戸に引き篭もってしまう。世界は真っ暗闇となりさまざまな災いが起る。神々は天照大神の再現のための相談をして儀式を行なう。天の香具山の榊を採り上枝に勾玉を、中枝には八咫鏡を掛け、下方の枝には楮の白い幣と麻の青い幣をさげ、その前で天児屋命が祝詞を奏上する。これが神道祭祀の原点となるが、麻は神に捧げる神聖で尊い幣であることが解る。このとき、天宇豆売命が桶を伏せてそれに乗り、踏み鳴らして舞いトランス状態になる。これが巫女舞のルーツ。この桶は乙女たちが紡いだ麻を入れる用具だった。

 麻は神話の時代から身近なもの。そして天に真っ直ぐに向かい逞しく早く成長していくさまに、当時の人々は尊い生命力を感じ、そこに呪術性をも見たのだろう。

 古代人の精神性・感性を伝える4500余首の『万葉集』には、植物を詠んだ歌が数百首ある。そのうち麻を題材にした歌は多くて約五十首ある。春に麻の種を植え、初秋に刈り取る栽培から紡いで織る全行程は、当時の女性の仕事だった。

○ 庭にたつ 麻布小衾(あさて こぶすま) 今夜(こよひ)だに 夫寄(つまよ)しこせね 麻布小衾(あさて こぶすま)  【巻14-3454】  
〔庭に立てた 刈り取った麻で作った夜具よ せめて今夜だけでも愛しいひとを引き寄せてください!。麻でつくった小さな夜具よ〕

○ をとめらが 積麻(うみを)の 絡垜(たたり) 打麻懸(うちそか)け 積(う)む時無しに 恋ひ渡るかも  【巻12-2990】
〔乙女らが麻糸を紡ぐとき 三本の柱の糸巻き用具で 打って柔らかくした麻を丹精込めて紡ぐように 飽きることなど無く 恋し続けるのよ〕

○ 麻苧(あさを)らを 麻笥(をけ)に多(ふすさ)に 積(う)まずとも 明日きせさめや いざせ小床(をどこ)に  【巻14-3484】
〔麻の糸を桶いっぱいになるまで紡がなくとも 明日お着せするわけでもないでしょうから さあ 誘ってください 寝床に!〕

 当時の若い女性は大らかに自らの意思を詠み、その想いを麻に託している。
最初の歌は京に赴く旅の途上にある夫を想い、夫が居るときと同じように敷いてある麻の夜具に、離れている二人の媒介を願う女の情念が滲むような呪歌だ。麻の夜具を常に敷いて置くのは夫と共に寝るという願いと、夫の浮気防止のための呪術だ。

 二番目の歌は、何人かの乙女たちが、打って打って柔らかくなった麻を細く裂き、それを繋いで糸にする長時間の労働のなかで、積(う)み出される麻糸にそれぞれ自分の想いを託す。休むことなく倦むことなく、真剣に作業する乙女たちが向き合うのは麻。神に仕える巫女の所作のように辛抱強く麻糸を紡ぎながら、抱いた恋心の実現を願う。いつまでも想いが飽きることなく恋い続けている。神聖な麻だからこそ心を晒したのだろう。

 作者不詳の三番目の歌は男女両方からの解釈がされている。「きせさめや」は語義未詳とされるが、大まかな歌の趣旨としては、先の女性からの誘いの解釈と、“そのように麻の苧を桶いっぱいに紡いだとしても、明日着物として着せることができるわけでもないのだから、(或いは、明日も紡げるのだから)さあ来なさい、寝床に!”といった男性が歌ったとする解釈がある。真剣に麻の繊維を紡いでいる若い女性に働くの止めて、一緒に寝床に行こうとの誘いだ。また仕事が出来る明日が来ないわけではないから、と言って女性が誘ったのか、働いている女性のところに来て男性が誘ったのかは定かでないが、古代人の大らかな精神性をもつ生活のなかで、麻が身近な存在であったことは確かだ。万葉集にはこのように麻を詠んだ歌はまだまだある。

 かつて農家の庭先に生えていた麻が消えたときから日本の国力は低下したと言う意見がある。理解できる見解だ。

 神道の祭祀に必要不可欠な麻がもっと検証されるべきだし、麻から日本人の精神性の根幹を探る研究がされていい。同じような考えを持つひとが増えることを切望する次第…。

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コメント

こんにちは、初めまして。
「娘子らが」の歌の“たたり”を調べていたところこちらにたどり着きました。
栃木県那須で大麻博物館をやっている者です。
男手ながら万葉の歌にある大麻繊維で「打ち麻」をやったり糸を績んだり、やっとこさ布を織ったりしています。今の時代では昔のように大麻の布を織れる人はおそらく10人残っておらず、大麻栽培から布までと一貫した作業を行える者はただひとり残っているだけと、そんな壊滅的な危機に直面しています。
そんな状況をつぶさに見ているものですから、最後の一行に強く頷き驚きつつ不躾ながら投稿させていただきました。

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