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【追悼】 『神道界の巨星堕つ』

 山蔭神道第七十九世教主 貴嶺宮名誉宮司 山蔭基央師帰幽

  今年の夏は厳しい暑さが続いた。7月の2週目頃、知人からメールで山蔭基央先生の訃報を知らされた。まだ公表されてないようですとあったが、半月ほどして「お別れの会」の通知を頂いた。7月4日に帰幽。享年89歳。

 心から惜しいと思う先生が逝かれた。

 蒸し暑く、時折り雨の降る8月25日(日) 午後1時、JR豊橋駅構内のホテルアソシァでのお別れ会に参列した。会場には白一色の花の中に敬愛する山蔭先生の遺影が飾られていた。

 定刻に開式。斎主を務めるのは山蔭神道上福岡斎宮宮司の佐々木望鳳馨(のぶよし)氏。佐々木氏はかつて靖国神社に数年間奉職されていた。父上は山蔭神道の重鎮で前の上福岡斎宮先代宮司の佐々木将人(ささきのまさんど)師である。合気道の達人だった将人師範も、今年2月に山蔭先生に先立ち84歳で帰幽されている。

 神道儀式は修祓(しゅばつ)から始まる。その時に奏上するのが祓詞(はらえことば)。神社本庁傘下の神社始め神道系教団などでとなえるが、この祓詞は大正3年に内務省が神社祭式を制定した際に採用されたもの。今回はそれとは異なる七柱の祓戸神のご神名をとなえる山蔭神道独特の禊祓詞(みそぎはらえことば)の奏上だった。古神道系の山蔭神道には秘儀とされる神事がある。大祓詞の隠された太祝詞事の如き神呪(かじり)を唱えるが、神事の行事作法は他の神道系と共通している。

 斎主の祭詞奏上に続き玉串奉奠。ご家族や関係者を始め全国から別れを惜しむ300名近い人たちが、遺影に玉串を手向け冥福を祈った。

 平成15年から5年程この紙上に「神道つれづれ」の連載をしたが、山蔭先生からよくお手紙を頂いた。私の師で霊能者でもある溝口似郎先生とは旧知の仲で、昭和30年代に共に学ばれ、土佐で幾度も話しをされていた。溝口先生は清貧に甘んじながらも敬神の念篤く、神に対する心構えの厳しさを常に説いていた。“良い先生を持たれましたね。”と師を評価してくださる山陰先生のお手紙からは、深い思いやりと暖かさが感じられた。つたない私の記事について貴重なご意見や過分なお褒めの言葉まで頂いた。手紙類は、大切に保管している。お励ましの手紙で気持ちを奮い立たせたことを思い出し、たまに読み返すことがある。

 以前、“「神道を矮小化」しないこと…”と、ご助言を頂いた。“…古代中国はアラビア伝来の天文学を取り入れた。これを学んだ天智・天武の両朝はかなり大きな視野で物事を見ていた。天智天皇の近江朝廷の選定は九星気学の奇門遁甲法に拠った(略)。土木建設の工事を好んだ重祚の女帝・斎明天皇が延べ三万人を動員して築造した〈狂心(たぶれこころ)の渠(みぞ)〉は、陰陽道を取り入れている。いま、中国は中国の中心をローマに置いて考えている。これは孫子・呉子の八陣法の内、鶴翼の陣。極西をアフリカに置き、極東をアメリカとし、鶴首を東南アジアに置いている。壮大な布陣である…。八陣法を拡大していくと神武天皇の御東征のスケールも見えて来る。どうか「戦略的展開」という視野でみてください…。”

 世界的な観点で神道を捉える山蔭先生からは、神道をベースにして世界を視る発想を教えられた。

 平成に入って國學院に戻り神道を学んでいた頃、現在は解体されたが校舎入口のショウケースに箱入りの『山蔭神道』がズラリと並んでいた。それがいつの間にか消えていた。山陰先生にお逢いしたときに顛末を云うと、「神社本庁と喧嘩しちゃったからねぇ」と笑っておられた。先生が神社本庁におもねる筈もないが、“神道”の見解に本庁と先生の間には根本的な相違がある。

 先生の謂われる神道とは、“国家経綸の大道”であり“顕密両道”でなければいけない。だが、“…明治維新により神道の本質は歪められ、本来の自然崇拝から離れ、天皇を戴く国家神道へと変貌を遂げた。内務省神道はキリスト教への模擬であり、このため奇妙な神道となり、結果、「みたま」を知らない神職の群れができた。このままでは神道は孤立して神社も滅亡する…”と謂われた。

 霊学を学ばず、幽霊退治ひとつ出来ず、これでは大麻(おおぬさ)を振る形容(かたち)だけの作法の神社神道になってしまう、という私の記事に、いまの神社神道に最も欠けているのはそれです、と慷慨された。

 “…それ以後、箱物建築で神社を大きくしてきたツケが廻ってきているのです。「カネ集め」の神社なら世界から見捨てられます。それはカトリックと同じです”とも…。

 一神教はいずれ行き詰る。世界は神道に回帰しなければ滅亡してしまう、世界の潮流を変へる神道論を出してください、と仰ってくださったが未だに果たせずにいる。自らも英文神道を刊行された先生の著書は多い。私共の講座に山蔭先生の「百ヶ日修行」を受け先生の書籍は全部揃えていると豪語する受講生がいた。全冊借り受けたが、本の数とテーマの多岐に亘ることに驚いた。目次から拾い読みをして返した本もある。今も送って頂いている『月刊己貴(めざめ)』は最近通刊790号を超えた。この己貴(めざめ)からは、山蔭ワールドを垣間見ている。

 以前、神道つれづれに山蔭先生のご経歴を書いた。終戦直後に中山忠徳卿より山蔭神道宗家を継承し、それを発展させて神道界にしっかり橋頭堡を築かれた。先生が帰幽されたいま闇夜の灯明を失った思いだが、日本神道が先生の標榜された“顕密両道”となるようご努力頂き、山蔭神道の更なる飛躍を願わずにはいられない。 

 山蔭先生、いろいろとご指導を有難うございました。篤く篤くお礼を申し上げます。どうか、ゆっくりとご休息ください。そして時折り、私どもを見守ってください。  合 掌

 

(宗教新聞 10月5日号 掲載)

 

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コメント

山蔭先生と山陰線の列車内でお会いして、郷土芸能のお話をして、先生が下車される駅を乗り越してしまいました。後日熊本のみかんを送りお詫びしました。教えて頂いた事を、植柳盆踊りの史の本に書いて先生に送りしています。お会いできないまま、本当に残念です。今年の3月に「植柳の盆踊」が、国選択無形民俗文化財に成りました。先生に御報告に伺いたいにですが、今日、先生の事が書かれているのを知り、御悔み申し上げます。
今日は先生の事を皆にお話をしようと、先生の名刺に書いてある事を調べていたら、この文に出会いました。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
           野﨑陽子

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