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「大麻解禁と医療革命・大麻草CBDオイル」

 麻は人類が繊維を得るために最初に栽培されたがその歴史は非常に古い。エジプトでは紀元前1万年頃には既に栽培され、王の墓に麻栽培の壁画があり、ミイラが麻布で包まれていることも確認されている。

 日本の場合、縄文時代草創期から前期にかけて(約1万2千年~5千年前)の福井県鳥浜貝塚の集落遺跡から麻の繊維や種子が発見されている。秋田県由利本荘市の縄文早期(約7600年前)の菖蒲崎貝塚では、縄文土器の底から炭化した麻の実が出土している。

 麻は短期間で天に向かい真っ直ぐ育ち、神聖で 強い生命力がある強靭な繊維で、魔を除ける呪力があると信じられていた。

壊れやすい土器の表面に麻などを縒(よ)った縄の模様を刻むのは、土器に食べ物を保管する際、魔 (食べ物の腐敗)を防ぐ為に魔除けの縄の文様を施したためと言われている。

 邪馬台国の卑弥呼は魏に麻の布を贈っているが、神社の注連縄や横綱の綱や土俵に麻縄が使われるのは、麻縄に魔除けの機能や意味を持っているからである。縄文時代から捨てる部分がなく生活に利用されてきた麻は、日本人の信仰心と習合して神社のお札や神事には欠かせない神具の象徴となった。

 その麻は大東亜戦争に敗れて上陸した進駐米軍によって禁止され、現行の「大麻取締法」が昭和23年(1948)に制定された。しかし日本に麻の規制を迫ったアメリカでは、現在、扱いが大きく変わって来ている。

 大麻は「産業用」「医療用」「嗜好用」等に活用されている。ガンやエイズの治療などに効果があると言われる大麻は、現在のアメリカでは「医療用」として合法的に使用されており、医療用大麻は全米23州で合法化されている。世界的には21カ国で合法的に使用され、更なる研究の対象とされている。

 そして「医療用」から進んで、昨年2014年1月からは、アメリカのコロラド州で「嗜好用」大麻の販売が合法となり、続いて7月にはコロラド州に倣(なら)いアメリカ西部のワシントン州でも全面解禁となっている。

 昨年の11月には保守的と言われるアラスカ州で住民投票が行われ、21歳以上の成人のみの「嗜好用大麻」合法化法案が可決されて今年2月24日から解禁となった。28gは所持可能で、自宅での栽培も6株まで容認される。同じく2月26日には首都ワシントンD.Cでも成人のみの「嗜好用大麻」が解禁となる。更には7月に5例目になるオレゴン州で嗜好用大麻が解禁になった。

 これまで厳しかったアメリカが徐々に解禁に進む方向性に比べると、解禁のための議論すら盛り上がらない日本はずい分遅れている。そろそろ封印は解かれるべきだ。

_0881_2  アメリカでは酒の販売と飲酒を禁じていた禁酒法時代があった。オバ大統領が「大麻はアルコールほど危険ではない。私も吸っていた!」 と云う 発言は話題となった。ワシントン州ではボトルに入ったマリファナ・コーヒーを売り出したが、続いて大麻の有効成分THCを含有したコーヒー粉を発売した。進みゆく時代と共に法律の改変は自然の流れだ。日本でも世界の趨勢に沿った法律の改正が待たれる。

 最近は「嗜好用」大麻解禁ばかりがニュースになっているが「医療用」の研究も進んでいる。大麻に含まれるカンナビノイドの薬理効果が世界的に注目されている。特に大麻に含有されるCBDの臨床研究では、てんかん、 認知症、 アルツハイマー、薬物中毒、ガン、 発作、 統合失調症などのさまざまな症状の改善が報告されている。

 世界で「医療用」に活用されている大麻だが、特に最近、若年層にも増加しているアルツハイマーや認知症に有効なCBDオイルの可能性は、日本のように高齢化が急速に進む世代には大きな期待を抱かせるニュースだ。

最近、日本でもCBDオイルがつくられるようになった。早速個人的に飲用しているが体調の改善が徐々にみられるようになった。

大麻の取り締りの厳しい日本だが、「医療用」大麻解禁のための運動を見守っていきたい。 (完)

“ニッポン・スピリチュアル”講話会配布資料より

『オリンピック追加競技候補の空手と、國學院・西原健吾先輩異聞!』

 猛暑から一転して初秋のような風情―。怠惰な長い休みから醒めてブログ再開!

 4ヵ月ほど前に月刊空手道に「押忍の系譜」を連載している大林俊紀氏(仮名)から、やっと私に辿り着いたというメールを貰った。大林氏は日大キックボクシング部ОBで健康食品会社経営の傍ら、キックボクシングのイベント運営にも携わっている。私と交流のある國學院キックボクシング部の後輩やスプーン曲げで一世を風靡したK氏とも友人だと云う。用件は空手部の伝説ともなり、語り継がれる西原健吾先輩の情報について―。

 西原先輩は私が入学した年に卒業したが、卒業後もよく道場に顔を出して型などより実戦さながらの自由組手を長時間させる厳しい指導をしていた。

  最近は女子の演武などを観る機会も増え、空手の社会的認知度も上がっている。“オリンピックの追加競技種目に”の声も聞こえるので、西原先輩の件はメールの内容から空手道の歴史を見直す一環かと思えた。

 西原先輩は私が大学に入学した頃、当時すでに渋谷を根城にインテリヤクザとして勇名を馳せていた安藤組の幹部だった。その頃の安藤組には映画スターのような話題性のある幹部が何人か居て、そのうちの一人が当時25歳の西原先輩だった。

 大林氏によれば1958年2月22日、タイ国バンコクのルンビニースタジアムでアーミーライト級チャンピオンと空手着で素手のまま戦った―、という記事が載った当時のタイの新聞を昨年見つけた。これについて日本では全く報道されておらず、大林氏は非常に驚いたという。日本で初めてムエタイと戦ったのは、それから6年後の1964年、極真空手の大沢昇、黒崎健時、中村忠の3人という記録が残っているとか。大林氏のタイの新聞の発見は、それまでの歴史を変えることになる。

大林氏は、外遊など考えられなかった当時、どのような経緯でタイへ渡航し、戦いが実現したのか非常に興味があり独自に調査中だったという。私はОB会の事務局長を16年務めたが、部員減少でろくな成績を挙げられない現状を嘆く私のブログ(第8回・國學院大學 空手道部)を見つけたという次第。いずれにしろ 空手とムエタイとの初めての対戦は、巷間云われていたようなスポーツ空手として急成長してきた極真空手ではなく、伝統派空手であったことの発見の意義は大きい。 調べてみると、大山道場から極真会館に組織変更した1964年にタイ王国へ黒崎健時らが遠征し、エムタイルールで試合をした記録が確かに残っている。 格闘技空手としての選手を育て、海外に派遣しては各地で試合を行い、名を知られてきた極真空手とは異なり、その当時はまだ空手は武道として認識されていた。西原先輩がタイで試合をしてから20年近く経っていた頃、私は寝袋を担いで北アフリカ・マグレブのイスラーム世界を放浪していた。そのときモロッコで、士官学校で柔道を教えている柔道6段の日本人武道家と出会い、ブラジルでプロレスと他流試合をしたという理由で講道館から破門された話しを聞いていた。当時、伝統派空手としては松涛館流・和道流・糸東流・剛柔流が四大流派とされていたが、確かに当時は空手にも破門があり得る武道だった。

 大林氏のメール以後、ОB会名簿をめくり電話をかけ、年に一度のОB総会にも出席して年長のОBに訊ねまわった。しかし半世紀以上前の話しで思い出すのも容易ではない。

 西原先輩と同期の先輩は、“タイに行ったのは覚えているよ、和道流か和道会の本部に尋ねてみたらどうだ”という程度の意見。久しぶりに電話をかけた福岡在住の二期上の主将だった先輩は、“スーツを新調した西原先輩を羽田に見送りに行ったな、どんな経緯か知らないが、確か九州の有力者があの試合を仕掛けた筈だ”という情報をくれた。同じく二期上の会計だった先輩は、“そんなことあったのか?”と全く覚えていない。かわりに当時の別の想い出話しを聴かされる始末だった。私と同期の2人は、“道場で一緒に写真見たよな”、“新聞を見せられた記憶あるぞ”というくらいで、あとは体調や近況で長話しになってしまった。西原先輩の一期下の先輩は、“先輩が安藤組の組員だったことは誰もが知っている。それだからあまり公けにしてこなかったんじゃないか”と云われる。

 正統派の武道空手である和道流の創始者・大塚博紀師範から直伝を受けた西原先輩のタイでのエムタイ対戦は、西原先輩がアウトローの世界にいたことと無縁ではなかっただろう。

 昭和38年(1963)9月、安藤組の大幹部で映画スター並みの人気があった花形敬氏が川崎市の路上で深夜敵対する組の刺客二人によって刺殺された。そして翌39年11月7日、西原先輩は青山のレストランで話し合いをしていた組関係者が恐怖にかられ震えながら放った銃弾3発で絶命した。組長の安藤昇氏は、その数年前に横井英樹襲撃事件で世間を騒がせ、1ヵ月以上逃亡の末に逮捕されて7年の刑に服し、西原先輩が凶弾に倒れた年に仮釈放で出所していた。花形、西原という組の両輪を失い、葬儀では九州から上京した西原先輩のご母堂に、“子が先に死ぬ最大の親不孝は、私の子を最後にしてください”と泣きながら訴えられ、翌月、安藤昇氏は安藤組を自主的に解散した。

 そして連絡を取り合い、大林氏を始め、後輩の國學院キックボクシング部ОBや、安藤昇氏の本を書いている作家の方などと渋谷のホテルで会った。当然、安藤組のことを含め古き良き時代の話しになった。ついでに空手が東京オリンピックの追加種目になる件については、悲観的な意見が出た。空手のことを多少でも知っていれば、空手には多くの流派があり、流派ごとに型や組手のルールの違いがあることも解る。試合の採点にも違いがでてくる。さらには伝統派空手では、相手にダメージを与えない程度当てるか、直接打撃しないで当てる前に止める「寸止め」を採用している。だが、これとは別に、1964年に大山倍達によって創設された極真空手は寸止めではなく、対戦相手に技を当てるフルコンタクトの直接打撃制を用いている。当てるか当てないかの差だが、この差は大きく、これまで極真と伝統派空手の交流を阻んでいた。伝統派の全日本空手道連盟はかつて二、三度大山倍達に加盟を勧めるが、フルコンタクト・直接打撃制にこだわる大山と、寸止めは譲れない伝統派と交渉はうまくいかず決裂した。

 またかつて大山は、極真空手を五輪種目に加えようと画策し、IОCに働きかけたこともあった。だがIОCが安全な寸止めに近いルールを求めたことで交渉が頓挫した経緯がある。「極真会館」を創設した大山は、存命中に世界120ヵ国以上に支部を創り、1000を超える道場を持ち、会員は1200万人と言われた。しかし、平成6年(1994)4月に大山が帰幽すると、後継者の座を巡り主導権争いが始まる。団体は四分五裂の様相を呈し、分裂した団体から更に派生する団体などが40を超えた。未だにその余震は続いている。

 そして今年の4月、空手のオリンピック採用を目指して伝統派と極真の歴史的・和解的な合意が初めてできた。両者が空手を五輪の舞台に上げることを最優先させた結果だ。今後、極真が希望すれば全空連から寸止めルールの指導員を派遣するが、極真側は今回のオリンピックの参加に向けてのみ寸止めを容認し、このルールで勝てる環境を整えていく方針のようだ。極真側では全空連の傘下に入ったわけでもない点を強調し、両団体がこれまでの確執を越えて友好団体として両立させていく姿勢を示している。

 ちなみに五輪の開催都市に与えられる提案権の追加種目を、組織委員会は二次選考で8競技に絞り込んだ。①野球・ソフトボール、②空手、③ボウリング、④ローラースポーツ、⑤スポーツクライミング、⑥スカッシュ、⑦サーフィン、⑧太極拳、の八種目。

 8月初めに各競技のヒアリングを終えているが、9月末までに組織委員会によって選考され、“1乃至は複数”の競技が推薦される。それをIОCに提案し、来年8月の総会で正式に決定される。各々、流派を名乗る空手団体は135を数える。果たして空手は推薦を勝ち取れるのか? もう直ぐ結論が出る。

(“ニッポン・スピリチュアルの世界”7月度 講話会「オリンピックおじさん・山田直稔氏講演会」.配布資料より)

奈良 泰秀 & エハン・デラヴィ氏の対談本が出版されました

縄文のパワーフィールドへPhoto_4
神道よ!今こそ<古来の本物の道>に戻るのだ!
著者:奈良 泰秀、エハン・デラヴィ

四六判ハードカバー
価格:1700円+税
ISBN:9784864711647
出版社:株式会社ヒカルランド

(内容紹介)
本物のシャーマニズムを日本人が忘れてしまった。明治政府の意向で八百万の神様の役割が統一化されてしまったからだ。ケルト民族末裔の意識研究家エハン・デラヴィが、古神道の真髄を奈良泰秀(にっぽん文明研究所 代表)から聞き出す。宇宙と直接つなが る知恵は、ここ日本の神道にあった。神道の潜在力を思い出し、世界に伝えていこう。神社の大同団結が日本人を活性化させる!



(目次より)
第1章 神社がもっと輝けば、日本はさらに活性化する
第2章 神道の源流は縄文にあり第3章 明治政府が潰した日本のシャーマニズム
第4章 現代の渡来人(外国人参入)が神社を救う!?
第5章 霊能者溝口似郎先生が教えてくれたこと
第6章 ハートを忘れた現代人は、鎮魂帰神を学ぼう第7章 古史古伝、日ユ同祖論、日本人の知らない日本
第8章 神道は日本の優れたシャーマニズム 

地鎮祭ビジネスを創り出したのは、私です!/明治政府の意向で、それぞれの神様のお役目が奪われた!/大祓詞──神道成立の背後にある縄文文化とは異なる稲作文化のルール/幽霊退治ひとつできない現代の形式化された神社神道/昭和天皇は神降ろしを秘かに行っていた!/ヒーリングもチャネリングもできない既成宗教では、現代人にマッチしない/日本の鍼灸学校で西洋医学的アプローチしか教えられなかった不満/広島の霊能者、溝口似郎師が提唱した水子供養は、やがてビジネス化されてしまった/仏教的要素を取り入れた神事は、今でもタブーになっている!/このままでは、ハートを忘れた左脳だけの新世界秩序が完成してしまう!?

【追悼】 『神道界の巨星堕つ』

 山蔭神道第七十九世教主 貴嶺宮名誉宮司 山蔭基央師帰幽

  今年の夏は厳しい暑さが続いた。7月の2週目頃、知人からメールで山蔭基央先生の訃報を知らされた。まだ公表されてないようですとあったが、半月ほどして「お別れの会」の通知を頂いた。7月4日に帰幽。享年89歳。

 心から惜しいと思う先生が逝かれた。

 蒸し暑く、時折り雨の降る8月25日(日) 午後1時、JR豊橋駅構内のホテルアソシァでのお別れ会に参列した。会場には白一色の花の中に敬愛する山蔭先生の遺影が飾られていた。

 定刻に開式。斎主を務めるのは山蔭神道上福岡斎宮宮司の佐々木望鳳馨(のぶよし)氏。佐々木氏はかつて靖国神社に数年間奉職されていた。父上は山蔭神道の重鎮で前の上福岡斎宮先代宮司の佐々木将人(ささきのまさんど)師である。合気道の達人だった将人師範も、今年2月に山蔭先生に先立ち84歳で帰幽されている。

 神道儀式は修祓(しゅばつ)から始まる。その時に奏上するのが祓詞(はらえことば)。神社本庁傘下の神社始め神道系教団などでとなえるが、この祓詞は大正3年に内務省が神社祭式を制定した際に採用されたもの。今回はそれとは異なる七柱の祓戸神のご神名をとなえる山蔭神道独特の禊祓詞(みそぎはらえことば)の奏上だった。古神道系の山蔭神道には秘儀とされる神事がある。大祓詞の隠された太祝詞事の如き神呪(かじり)を唱えるが、神事の行事作法は他の神道系と共通している。

 斎主の祭詞奏上に続き玉串奉奠。ご家族や関係者を始め全国から別れを惜しむ300名近い人たちが、遺影に玉串を手向け冥福を祈った。

 平成15年から5年程この紙上に「神道つれづれ」の連載をしたが、山蔭先生からよくお手紙を頂いた。私の師で霊能者でもある溝口似郎先生とは旧知の仲で、昭和30年代に共に学ばれ、土佐で幾度も話しをされていた。溝口先生は清貧に甘んじながらも敬神の念篤く、神に対する心構えの厳しさを常に説いていた。“良い先生を持たれましたね。”と師を評価してくださる山陰先生のお手紙からは、深い思いやりと暖かさが感じられた。つたない私の記事について貴重なご意見や過分なお褒めの言葉まで頂いた。手紙類は、大切に保管している。お励ましの手紙で気持ちを奮い立たせたことを思い出し、たまに読み返すことがある。

 以前、“「神道を矮小化」しないこと…”と、ご助言を頂いた。“…古代中国はアラビア伝来の天文学を取り入れた。これを学んだ天智・天武の両朝はかなり大きな視野で物事を見ていた。天智天皇の近江朝廷の選定は九星気学の奇門遁甲法に拠った(略)。土木建設の工事を好んだ重祚の女帝・斎明天皇が延べ三万人を動員して築造した〈狂心(たぶれこころ)の渠(みぞ)〉は、陰陽道を取り入れている。いま、中国は中国の中心をローマに置いて考えている。これは孫子・呉子の八陣法の内、鶴翼の陣。極西をアフリカに置き、極東をアメリカとし、鶴首を東南アジアに置いている。壮大な布陣である…。八陣法を拡大していくと神武天皇の御東征のスケールも見えて来る。どうか「戦略的展開」という視野でみてください…。”

 世界的な観点で神道を捉える山蔭先生からは、神道をベースにして世界を視る発想を教えられた。

 平成に入って國學院に戻り神道を学んでいた頃、現在は解体されたが校舎入口のショウケースに箱入りの『山蔭神道』がズラリと並んでいた。それがいつの間にか消えていた。山陰先生にお逢いしたときに顛末を云うと、「神社本庁と喧嘩しちゃったからねぇ」と笑っておられた。先生が神社本庁におもねる筈もないが、“神道”の見解に本庁と先生の間には根本的な相違がある。

 先生の謂われる神道とは、“国家経綸の大道”であり“顕密両道”でなければいけない。だが、“…明治維新により神道の本質は歪められ、本来の自然崇拝から離れ、天皇を戴く国家神道へと変貌を遂げた。内務省神道はキリスト教への模擬であり、このため奇妙な神道となり、結果、「みたま」を知らない神職の群れができた。このままでは神道は孤立して神社も滅亡する…”と謂われた。

 霊学を学ばず、幽霊退治ひとつ出来ず、これでは大麻(おおぬさ)を振る形容(かたち)だけの作法の神社神道になってしまう、という私の記事に、いまの神社神道に最も欠けているのはそれです、と慷慨された。

 “…それ以後、箱物建築で神社を大きくしてきたツケが廻ってきているのです。「カネ集め」の神社なら世界から見捨てられます。それはカトリックと同じです”とも…。

 一神教はいずれ行き詰る。世界は神道に回帰しなければ滅亡してしまう、世界の潮流を変へる神道論を出してください、と仰ってくださったが未だに果たせずにいる。自らも英文神道を刊行された先生の著書は多い。私共の講座に山蔭先生の「百ヶ日修行」を受け先生の書籍は全部揃えていると豪語する受講生がいた。全冊借り受けたが、本の数とテーマの多岐に亘ることに驚いた。目次から拾い読みをして返した本もある。今も送って頂いている『月刊己貴(めざめ)』は最近通刊790号を超えた。この己貴(めざめ)からは、山蔭ワールドを垣間見ている。

 以前、神道つれづれに山蔭先生のご経歴を書いた。終戦直後に中山忠徳卿より山蔭神道宗家を継承し、それを発展させて神道界にしっかり橋頭堡を築かれた。先生が帰幽されたいま闇夜の灯明を失った思いだが、日本神道が先生の標榜された“顕密両道”となるようご努力頂き、山蔭神道の更なる飛躍を願わずにはいられない。 

 山蔭先生、いろいろとご指導を有難うございました。篤く篤くお礼を申し上げます。どうか、ゆっくりとご休息ください。そして時折り、私どもを見守ってください。  合 掌

 

(宗教新聞 10月5日号 掲載)

 

精神世界と、エハン・デラヴィと…

 つい最近、カナダから戻ってきたエハン・デラヴィ氏から電話を貰い二度ほど会った。一度目は都心のホテルの会員制ラウンジ、二度目は私の住まいに近い新横浜でだった。
 エハンと会うのは、去年の7月に彼をメインに二人で講演会をやってから半年ぶり。そのとき対談の本を出そうと話しをしていた。

 エハンは9年前、うちの研究会の第34回セミナーで雅楽や日本舞踊や巫女舞などの“和文化の集い”に知人と一緒にやって来た。紹介され、日本語が流暢なので急遽「外国から観た日本の神道と文化」のテーマをつくり、私の講話の時間をそれに替えた。飛び入りで、締め括りの講演をして貰って以来の付き合い。
 そのとき、エハンには、当たり障りのない“外国人の眼には神道や日本文化はどのように映るのか”、といった軽いテーマでの話しをお願いした。関西弁を交えた外人の洒脱な話術に会場が沸いたが、日本文化を多面的に研究していることは直ぐに判った。来日して日本の文化に非常に興味を持ち、禅や弓道も学んだと言う。その程度のことは多くの外国人もやっている。だが、東洋医学への興味から鍼灸師の国家資格を取得した、となると、並みのひとの出来ることではない。

 エハンはイギリス・スコットランド生まれでケルトの血を引いている。神道とケルト文化との共通性や類似性(自然崇拝や多神教的な神観)などを研究している日本の学者を知っているが、エハンは現在の多様化しているケルト文化をベースに、日本の精神文化との共通性や違いを視てきたようだ。
エハンがこんな話しをしていた。
 日本に来て、駅員に古びた小銭入れを差し出して行き先を告げ切符を買おうとした。駅員は小銭を数え切符代を取り、それから顔を見て云った。“大丈夫ですか?”。訊く意図が分からない。“何が…?”。切符を買うと小銭入れには40円しか残らない。所持金が40円になってしまうけど大丈夫ですか?、という心配を駅員はしてくれていたことに、やっと気付いた。我われならそれ程の気遣いとも思わないが、エハンは、このようにさり気なくやさしく気遣う精神風土の国は世界中どこにも無い、と云う。さり気ない気遣いや奥ゆかしさや譲り合いといった古来伝えてきた日本人の精神性を、彼は美徳として高く評価している。

 半年振りに会ったエハンは、去年の暮れに亡くなった私の長女のことをしきりに気にかけて慰めてくれた。そして自分も還暦だし、今回は日本で骨を埋める積りでカナダから戻って来た、と云う。近況を話したあと、エハンが妙なことを訊く。
 “日本の精神世界のひと達はどの位いると思います?”。
つまり、オカルトや「ムー」や、90年代から急に知られるようになった「日月神示」、フォトン・ベルトやアセンションなどを認めて支持するひと達のこと…。
 “さぁねぇ…”。
 “この精神世界の支持者が、4万人ですよ、たったの4万人!…”。
 この人数は大手広告代理店の調査の結果でたぶん正しい数字だそうだ。エハンが饒舌になった。本を30冊以上も出版しているのに、世間には思うように“自分の想い”が伝わらないことに気付いた。伝えたい思いはたった4万人の世界のなかで、ただぐるぐる廻っていただけではないのか…。この4万人の世界からより大きな世界に飛び出して声を上げないと、自分の想いは拡がらない。日本のことをもっと知らせて世界との架け橋になるような、大きな活動に繋がらない…。

 フォトン・ベルトやアセンションを取り上げて広めたのは、エハンと、これも知人の渡邊延朗氏だ。それらは4万人の世界から飛び出して少しは世間に喧伝された。ひと時は精神世界の定住者も支持者も追随してこれをこぞって唱えた。
 しかし、世間でのアセンションの関心も、アメリカ探検隊がたった一度それを否定したことで急速に萎んでしまった。さらに去年の暮れ、アセンションとリンクした世紀末論の横行に、アメリカ政府が公式ブログに風評を否定する記事を発表した。何も起こさないアセンションは今年に入りすっかり影を潜め、過去のものとなってしまった。東北の震災が原発問題などを表面に顕わにし、揺れ動いた政治も政権が変わり、2012年は一つの区切りを示す年ではあった。特に精神世界に意識変革を促したことは確かだ。
 エハンは去年の早い時期からアセンションに触れながらも、次ぎのテーマを模索していた。ちなみに半年前の講演会のテーマは、メインのエハンが『2012・日本終末論とユダヤの光』。私は『月は東に 日は西に』を題名に“失われた十支族と日本”と、マニアックな講話を選んだ。グローバリゼーションの計略が進められているというなかでのイスラエルに、エハンは関心をもっていた。
 しかしエハンのイスラエルへの想いは届かなかった。時期尚早だったのだ。東から射す光は、西のイスラエルの開かずの門にまだ届かない。

 話しの途中でエハンは鞄から1冊の本を取り出した。今年1月31日付けで出版したばかりの『日本を襲うテロ経済の本質』。表紙に、…日本を護るためにデフォルトした国・アイスランドを徹底取材して掴んだ新事実&世界を救うアイデア…、とある。世界で社会制度が最も成功した国・人口32万人のアイスランドで金融システムが暴走。たがのはずれたマネー・ゲームの果てに2008年末、国が破綻状態になった。これは、国際的なトリックスター(詐欺師)勢力によって仕組まれた陰謀だと謂う。その詳細は、エハン節が冴えて面白い。エハンはこの本をJ・C・ガブリエルのペンネームで著している。今年は巳年だから脱皮して新しい姿で活動する…、という意気込みだった。

 そして4、5日前に二度目に新横浜で会ったとき、エハンは少し憔悴気味だった。胸襟を開いて、といった日本的感性をエハンは充分理解していた。悩みは誰もがかかえている。明日が見えない将来への不安の影が、いまの日本を覆っている。エハンの苦悩も垣間見える。だがエハンはこれを掃うすべを、きっと見つけるだろう。

 今後の方向性は自ずから決まる。
 これから知日派で親日のエハンには、“日本の精神文化大使”の役を是非やって貰いたいと思っている。エハンは市井の生活から観た、文化の源泉にある日本人の精神性とその歴史を語れる数少ない外国人のうちの一人だ。いぶし銀の持ち味で、日本人に日本の文化を伝えてほしい。文化を知り、それを学ぶことは、内向きで自信のない日本人が、失いかけている誇りを取り戻すことに繋がっていく筈だ。
 
 我われの祖先は、日本の気候風土が生んだ自然環境と共生し、大自然万物に坐します神々を敬うこころを育んできた。そのこころが現在の譲り合いやさり気ない気遣い、奥ゆかしさに繋がっている。世界的な環境安全保障機構を創り、その象徴には日本の天皇様がふさわしいと発言されたのはヘブライ大学のベン・アミー・シロニー博士だ。世界の自然保全を語れるのは日本の神道だといつも云っているが、そのような自然環境問題で世界からの発言を促すための“日本人の精神性”を、日本から世界に向けて発信することも、エハンはできる。
 いまの若ものは自分の国の文化にあまり興味をもたない。独自の文化を創り出してきた精神性を外人に説かれれば、興味をもつ者も出てくるに違いない。
 

 友人エハン・デラヴィの今後の活動を期待したい。

葬送儀礼のゆくえ

Photoshinsou11   葬儀の形態が急変している。10年近く前に東京から広がった「直葬」が地方都市に浸透して行っている。大阪ではバスが「直葬・15万」の広告を背負って走っているそうだ。

 死亡して24時間経つと火葬ができる。これまでのような葬式をせず遺体が病院などから直接火葬場に運ばれ、たまに火葬炉の前で簡単なお経を上げることもある程度の直葬は、いわば葬送儀礼の省略化であり宗教性の無視化だ。

 10年前、これから我われの業界が忙しくなる、と葬儀業者はほくそえんでいた。仏教界の僧侶たちも内心おなじ思いだったろう。団塊世代の親たちが鬼籍に入り、続いてベビーブーマーも亡くなっていく、と…。

 目論みは見事に外れた。葬儀もお経もない直葬がこんなに流行するなど、10年前は誰も予想だにしなかった。

 不明朗な葬儀料金や院号に、あぐらをかいていた業者や僧侶の姿勢を糾弾することはた易い。確かに不透明な時代を読む努力を怠ったこともあるが、日本人の精神の根幹にある宗教性の喪失を生むような社会的教育が為されてこなかったことが、第一の原因だ。

 直葬が3割を超えると言われる背景にあるのは、生活格差の拡大で葬儀費用が払えない人が多くなった、高齢者の死亡で肩の荷が降りたと思うひとが増えた、などとされるが、例え貧乏で質素であっても、宗教心があれば親や身内の葬儀はそれなりに執り行なおうと思う筈だ。

  私共の研究会は「神葬祭の推進活動」を行っている。かたちだけの儀式はときが経てばいずれ飽きられる。古代から受け継ぐ神道式葬祭の持つ精神性を伝えることが、神葬祭を普及させ、これを執行する神職の使命だろう。