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経済・政治・国際

ニュースレターから…

  一ヵ月ほど前にツイッターに残しておいたが、評論家の茂木弘道氏から定期的にメールでニュースレターが届く。氏は「史実を世界に発信する会」の事務局長を務める。この会は、“英語ネット圏の「反日プロパガンダ」に対抗するため、史料に基づく日本語の文献をプロが翻訳し、日本への誤解や中傷を回復する著作・論文を纏めて世界に発信する”活動をしているとか。

2日前に届いたメールのタイトルは、“中国人はなぜウソをつくのか ”。北村稔・立命館大教授の小論文と、中国人で九州大に留学して工学博士号を取得した林思雲氏との対談録。
 ―「この中国人のウソつき症候群の心理的分析を歴史にさかのぼって検討したのが、この対談・論文」―。なのだ。
そしてそれは、“結論的には中国人の精神性の徳目の一つとされる「避諱」(ひき)にいきつく”という。
 “これは隠すとか、避けるといった意味で、国家や家族のために不利なことは、事実を曲げてでも隠さねばならない…、それが正しい、という考えである”。さらに、“身内の体面を汚すことはあってはならない。「正直」であるということは、この考え方の前では重要ではなくなる。国家にとって都合が悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはならない、という「倫理観」である。”と断じている。
(この論文はここ:)http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Chinese-to-Lie.pdf

そして、“独特な(?)倫理観に基づいて積極的にウソをつく中国人”を知らなければ今後の方向性を見失う、と警告している。それを理解しないと、“日本人のみならず、世界中の人たちもとんでもない見当違いをすることになる。”

  きな臭さが日増しに漂う尖閣に就いても、中国を以下のように糾弾している。
“現在、中国政府は尖閣列島を自己の領土であるというウソを平気で主張し、強引にそれを既成事実化しようとしている。”
この意見に異議はない。大方の日本人はそのように理解している筈だ。
“…世界中の人々にこれは全く根拠のないウソであること、こんなことをうっかり許すと大変なことになってしまう!”。そのことを世界に知らせていかなければならない、とは尤もな意見。

そして尖閣問題では、“その絶対的なウソを示す5つの根拠を、すでに我々のサイトでは発表している”。と、その資料を開示している。
(その、[動かぬ証拠5点]:)
 
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senkaku-Incontrovertible.pdf

この動かぬ証拠となる5点は、尖閣列島の日本領有を中国自身が示している証拠資料。
そもそも、“尖閣列島は1885年以来、日本領土の琉球列島の一部として認められてきた。”それが“1971年、中華民国・中華人民共和国が突如として尖閣列島の領有権を主張するようになった”。
この尖閣列島附近の海底に天然ガスなどの資源の存在が国連の調査で報告された為だ。

それ迄、清朝から現在の中華人民共和国に至るまでは、日本の尖閣領有に異議を唱えたことも無いし、中国がその領有を主張したことなど一度も無い。それは“彼らが尖閣は日本領と認めていたためである”のだ。

その裏付けの証拠となる資料とは、
1)「尖閣群島」「魚釣島」として日本名での表記がなされた1960年に北京市地図出版社刊行の『世界地図集』の存在。国境線も、与那国島と台湾本島の中間に引かれている。
2)1965年に、国境線の位置と日本名の表記から尖閣諸島を日本領と認識していたことがハッキリわかる『世界地図集 第一冊 東亜諸国』の存在。台湾の「国防研究会」と「中国地学研究所」が共同で出版した。
3)中華民国長崎領事からの感謝状の存在。注としてこれは“大正8年(1920)、魚釣島附近で遭難した中国福建省漁民31人を、魚釣島でカツオ漁を営んできた古賀善次氏らが救助して、全員無事に送り返したことに対する中華民国長崎領事からの感謝状”。そこには、日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島と明記されている。
4)“1969年、中国政府によって作成された機密扱いの公式地図では「尖閣群島」は日本領とされている”、と地図を副えた2010年9月15日のワシントンタイムスの記事。“北京政府が金魚台列嶼は中国領であるとの最近の主張を危うくするものだ。この地図は、東京側の領有権主張を支持するものだ”と同紙は論評している。
5)は1953年1月8日の「人民日報」の記事。当時の、“琉球群島の人民がアメリカ占領に反対闘争”の記事で尖閣を琉球群島の領域に記している。

いま、日本の国力は萎えつつある。稚拙な政治運営を声高に批判されているが、右往左往しながらの大衆迎合の政治では明日への展望など無い。この侭では日本は前に進まない。
以前、ローマのタクシー乗り場で車は来るのに“30分も乗れずにいるんです”と途方に暮れていた中年の日本人女性が居た。乗ろうとすると横から来て別の人が乗り込んでしまう。西欧人に対して気おくれもあるだろうが、日本人の“謙譲の美徳”なんて海外では滅多に理解されない。乗り込もうする人を抑えて車に乗せたが、郷に入れば郷のやり方を理解するしかない。日本の近隣諸国と、日本の道徳感などでうまくやっていこうなどと思うのは幻想だ。経済復興に手を貸した中国や韓国に侮られる現状に“金持ち喧嘩せず”などと鷹揚に構えているときでは無い。

いまなら未だ間に合う。日本は高い技術力と経済力を持っている。世界中に眼を光らせている米国との、寄らば大樹の日米安保だけでは心許ない。自衛力を高めるため、日本を縛っている条約や規制を取り払い、日本の身の丈に合った国の護りをすべきだ。
戦前、霊的国防を唱えた宗教者も居たが、神風頼みではいけない。日本の国を、人口減少と共に衰退していかない国にするため、我われは真剣に国の行く末を考えなくてはいけない。

日本の歴史や領土についてもっと関心を持とう。

韓国YMCAフォーラム ②

 神田の韓国YMCAでの講演の要旨は以下のようなもの。

 「朝鮮半島の併合を糾弾する意見もあるが、朝鮮は500年もの間、中国に支配され服属する関係にあった。当時、古い体質の朝鮮王朝はクーデターや内紛を繰返していて、近代化に向けた自冶能力などは殆んど無かった。とても自立してやっていけるような状態ではなかった。併合した日本が持ち込んだシステムをベースに戦後にそれを活用し、日本からの資金供与で韓国が驚異的な成長を遂げ、今日の発展に繋がったと私は理解している。

 私の名前は奈良。お国の言葉では“国、我が国・我が祖国”といった意味があると聞いている。遷都1300年で賑わっているが、奈良の都はあなた達の先祖の力によって造られた。

 当時、敵国に攻められ国が滅んだり戦乱を避けたりして朝鮮半島から渡来した多くの人たちを、日本は受け入れている。

 近代になり日本が朝鮮を併合して、皇民化政策の一環で半島各地に神社を建立し、参拝を強要したことは確かに大きな間違いだった。

 しかし、海外官幣大社の筆頭となる朝鮮神宮建立にあたって、朝鮮総督府がご祭神を天照大神と明治天皇の二柱を奉斎しようとした時、これに当時の神社界は“朝鮮の始祖・檀君も併せて祀れ”と強く主張した。

 氏神信仰を規範とする神社神道にとっては当然の主張だった。だが結局、朝鮮総督府に押し切られたという経緯がある。

 また神社と言えば、埼玉には高麗神社がある。神社のご祭神は高麗若光。

 1300年以上前、若光が高句麗から使節として日本に来ていた時、唐と新羅の連合軍に攻められ国が滅び、帰る国を失ってしまう。日本は若光に土地を与え高麗郡と名付け、それまで高句麗から渡ってきた人たち1800人を集めて一緒に住まわせた。彼らは土地の人たちに農耕や土木技術を教え、養蚕や窯業などの産業を興し、共に暮らしていた。

 やがて惜しまれながら若光が亡くなり、人々はこの土地に高麗王・若光として祀った。子孫が代々若光を氏神として祀り、現在の宮司は59代を数えている。韓国から赴任した駐日大使が参拝に見える神社だ。

 かつての武蔵国には55の白髭神社があり、この白髭神社は高麗神社の分社とも言われている。高麗郡が膨張して高麗人の子孫が散って行き、各地に分社を建立していった。白い髭の若光は、後に髭の長い猿田彦神や竹内宿禰と結びつけられるが、このように日本では渡来された人たちと共存し融和して共に暮らして来ている。

 日本と朝鮮半島とはこの若光の時代よりさらに1000年以上遡る頃から交流がある。日本と朝鮮とは一衣帯水の関係だ。日本と朝鮮半島のこれまでの歴史を見れば、100年は決して長い年月ではない。

 皆さんが不幸だったと思われている併合時代に眼を瞑れとは言わないが、贖罪の意味を込めて戦後の日本が韓国の発展に協力したことにまで眼を瞑って頂きたくない。
併合百年の是非を問う議論をベースに、今後の日本と朝鮮半島との新たな関係を築き、新たな百年の歴史の創造に向けた議論に変えて頂きたいと思う。」

 
 冒頭の、当時の朝鮮には自冶能力など無く、戦後、韓国が日本のシステムと資金供与を活用して成長したというくだりでは、会場が一瞬静かになった。他の講師はほぼ持ち時間を超過して話しをしたが、事前にレジュメを作っておいたおかげで与えられた時間内に終えることができた。

 フォーラムが終わり、控室では、ゲストの在日の講師と日本人の講師の間で日韓問題や南北統一の話しが続いた。名刺を交換した在日の人たちが日本人以上に神道や神社について知識をもっているのは意外だった。

 帰路、同行していたスタッフに「在日の方たちの心を鷲づかみでしたね」と誉め言葉をもらった。

 その後の在日団体の役員とのやり取りは省略するが、いつの間にか、10月のソウル西大門独立公園の「憂国烈士慰霊祭」行きに繋がっていた。

 ひとの縁とはいろいろと拡がっていくものだ。

韓国YMCAフォーラム ①

 前回の憂国烈士慰霊祭の行事に参加することになったのも、思えばちょっとした人の縁というものを感じる。

 何年か前に遡るが、何度か祭事指導に行っていた福井の新興教団の秋季大祭に招かれた。教団の所在地は市内を離れた山の裾野にあるが、式典は日暮れより始まる。

 11月始めの夕刻、少し肌寒さを感じる現地に、横浜からスタッフに運転してもらい車で直行した。受付けを終えて職員に案内されて来賓室に入ろうとすると、入口の方から怒鳴り声が聞こえた。混雑している入口に戻ってみると「俺を朝鮮人だと思ってバカにしているのか!」と、体格のいい中年の男性が興奮気味に声を張り上げている。何処かで一度会ったかな、といった程の記憶の人だ。少し離れたところで顔見知りの新聞社の編集者がうろたえ気味に「教主は?、教主は?」と訊ね回っている。まぁまぁと男性の肩を押さえてなだめようとするが興奮状態は治まらない。

 事情を聞くと、編集者が韓国の新聞の支局を預かる彼を誘い、地方の教団の祭典を見ようと東京からやって来た。彼は在日の人たちに日本語の新聞も発行している。編集者は教主と懇意なので気軽に誘ったようだ。

 事前に教団に知らせていなかったので受付けの名簿に彼の名前は無い。長年の信者で大祭スタッフとして狩り出された純朴な家庭の主婦は、“名簿以外の人は来賓室に入れないように”と厳命されていたらしく入室を拒んだ。編集者が教主を捜している間に何度も朝鮮読みの名前を聞かれ、挙句に拒否されたことで怒りが爆発した。いくらなだめても態度を変えない。ついには大声で帰る!と云い出した。車の走る市街地まで相当の距離があるのに、夕暮れが迫るなか、背中を見せて帰って行った。

 後日、教団の教主から謝罪を頼まれ、編集者と一緒に会って話をした。彼は貿易業を営む事業家でもあり民団の要職にも就いていた。

 これが縁で、在日系の大会などに何度か招かれ、彼の講演を聴く機会ができた。日本を第二の故郷と思い日韓の友好を願うまっとうな熱のこもった講演には、いつも共感させられた。

 そして昨年の9月、神田の韓国YMCAで開催される在日のひと達のフォーラムで20分ほどの講演を依頼された。ほかに5,6名の講師がいる。昨年は日韓併合100年という節目の年。この100年の歴史を超え、次の100年で新たな日韓友好を構築し、更に分断された南北の平和的統一を推進する大会だという。

 当日は朝鮮総連系も含めた在日の人たち数百人が会場を埋めた。

 大会の始めに「日韓併合への道」という東映が制作した映画が上映された。20分足らずだが韓国の視点で捉えた映画で、日本が朝鮮半島を武力で侵略し、高圧的な植民地支配を行なったことを強調している。傍若無人な日本人が朝鮮人を虐げている構図だ。私の前に登壇した元大学学長はこの映画の感想を、「日本は朝鮮半島でずい分酷いことをしたと思いました」、などとコメントしている。その前の講演者はある著名な神社の名誉宮司だが、「私は毎日、神社で世界平和のための祈りをしております」と映画や日本の植民地支配時代の話しには一切触れない。

 またその前の講演者は、総連系の団体の役員だろうか「韓国では古米備蓄に大金を使い、更に古くなれば動物の飼料にしている。どうしてこれを北に送れないのか」といったことを言っている。普段見慣れた講演会やセミナーとは雰囲気が少し違っていた。

 最後から2番目に登壇した私の話したことは、前のひと達とは異なった話しとなった。
 
 (次回へ)

憂国烈士慰霊祭 ①

201010161149000  昨年の10月末、話題になった新装の羽田を発ち、韓国へ向かった。ソウルの西大門独立公園で行なわれる恒例の「憂国烈士慰霊祭」に、初めての神道儀礼で参加するためだった。韓国が近くなったとは云え、所用が重なりとんぼ帰りの慰霊祭参加となった。

 当日は午前10時から式典開始。晴天だが風が晩秋を思わせるやや冷たい空の下で執り行なわれた。

 憂国烈士とは日韓併合に反対して独立のために闘い、命を落とした二千八百三十五柱の人たち。この憂国烈士慰霊祭に十年前から毎年、九州の真言宗の僧侶が数名参加されている。昨年は十年のひと区切り。さらに日韓併合百周年でもあり、現地の主催者から神道サイドへ参加の要請があった。著名社の名誉宮司始め何名かの名前が挙がっていたようだが、結局、装束と祝詞を携えて私が行くことになった。

 細かい事だが、参加して日本と韓国の“式典の始め方”の違いを体験した。日本では式典の開始前に準備はすべて終えている。だが韓国では式典が始まってもまだ準備が終っておらず、スタッフ等が会場を動き回っている。そのためか式典の冒頭には歌手が曲を歌う式前行事があり、歌手が二曲を歌い終えるころには準備が整っているという具合だ。韓国では歌の間に準備を終えるのが習慣のようだ。

 歌が終ると司会者が開会宣言。国歌斎唱、黙祷、各団体代表による献花、大会の辞と挨拶、追慕の辞と続く。その後に宗教者が登壇して慰霊祭を行なう。

 会場の参加者の中には黒い軍服のような制服姿で、胸には幾つも勲章を付けた在郷軍人と思しき一団がいる。年配で髭を蓄えた人が多い。神社参拝を強制された記憶を持つ年代の人たちだろうか、心なしか最前列に座る私への視線が厳しく感じる。ほかに少数だが在韓の日本人も居る。

 仏教の数名の僧侶による読経のあと神道儀式を行なう。修祓のあと鎮魂の岩笛を吹奏。青空の下で澄んだ音色が尾を引いて拡がった。そしてマイクを通して祭詞を奏上。二礼二拍手一拝の作法。韓国でこのような神道式の儀式が行なわれることは殆んどないのだろうか、辺りはシンとした空気に変わった。儀式が終ると、千数百人が埋めた野外公園の雰囲気が確かに変わっていた。司会者の祭詞の通訳にも会場は張りつめた静寂の侭だった。

 式典が終ると在韓の日本婦人会の方たちがやって来た。“やはり神道の儀式は厳粛で清々しい”、といった感想を戴いた。

 昼食後の控室に来た現地新聞の取材もそこそこに、会場から空港に向かい、慌しく帰国した。有名ホテルのスイートルームに宿泊させて貰ったが、滞在は僅か1日。本当に韓国は近くなった。

 奇妙に思うことが一つ。日本側の担当者に祭典の趣旨を聞き、祭詞の中に最も知られた烈士の安重根とアジアのジャンヌ・ダルクと言われた柳寛順(ユガンスン)の名前を入れる打ち合わせをした。祭詞の口語訳も事前に渡しておいた。だが当日、なぜか安重根の名前を外して欲しいと言う。

 後日聴いたところ、あの施設には安重根が祀られていないとか。抗日の国民的英雄が、なぜ祀られていないのか…。まさか日本への気遣いではあるまい。多分、安重根が北朝鮮出身であることと無関係ではないのだろう。

(安重根については以前“神道つれづれ”で少しだが触れている。)

次回は当日奏上した祝詞を掲載する。

国連決議:「世界諸宗教調和週間」に参加して

 いま、韓国が元気だ。日本に追いつけ追い越せから、世界的な視野に立ち様ざまな分野での活動を始めている。経済成長と政情の安定による国民的自信が背景にあるようだ。

0461_2  昨年の10月16日、ソウルの西大門独立公園で行なわれた第10回「憂国烈士慰霊祭」に日韓併合100年の節目という事で、初めて行なわれる神道儀式での慰霊をするために出向いたが、先月2月6日、今回は“世界平和の祈り”の祝詞を携えて韓国に向かった。羽田から金浦空港まで2時間足らず。首都圏在住者にとって羽田の国際線就航は大歓迎だ。

 昨年の10月20日、ニューヨークでの第65回国連総会で「世界諸宗教調和週間(World Interfaith Harmony Week)」に関する決議案が可決された。“相互理解と宗教間対話は平和文化の重要な要素である”として、毎年2月の第1週を「すべての宗教・信仰・信条間の“世界諸宗教調和週間”」とすると宣言した。

 この週の期間、国連が“諸宗教の調和と善意のメッセージの拡大の支援”を、奨励する。

 それに応えて初めての開催となるソウルでの“調和週間に伴なう国際会議”には、70カ国から宗教者・政府関係者・政治家など200名が参加した。カトリックの大司教、米国プロテスタントや台湾儒教界の代表、アナン前国連事務総長補佐の外交官、ケニア現首相夫人などを始め、各国から元大統領、前首相、現閣僚クラスも多数参加している。日本からも政治家・官僚・国連勤務者など十数名が出席している。期間中に名刺の交換をしたのはアフリカや中欧のひと達が多かった。

 この決議案が提出されるまで、国連では関連する幾つかの議決がされている。‘04年の第59回国連総会では、“文明間の対話と平和の文化を形成する一つの重要な次元”として「宗教間の対話促進」の決議案が採択された。また‘06年の第61回総会では、国連システムの中に「グローバルな宗教・文明・文化間の対話実施のための部署の設置案」が全会一致で採択され、翌‘07年に「国連事務局経済社会局」内にその部署が設置された。

 今回の世界諸宗教調和週間決議案は、ヨルダン政府始め、いま動向が注目されるバーレーンやオマーン、サウジアラビア、トルコ、アゼルバイジャンなど29カ国に依って提出されている。議案提出の同調国にイスラーム圏が多いのは、‘01年の同時多発テロの影響で世界中の非ムスリムに与えたイスラームへの恐怖観の払拭と正しい理解を狙ったものだろう。

 会議の開催に先立ち、神道・キリスト教・イスラーム・仏教・ユダヤ教・シーク教など7宗派の儀礼による“世界平和の祈り”が行なわれた。それぞれに与えられた時間は短時間だったが、最初が神道儀式で、はじめに名前を読み上げられた。会場に長く余韻を引いて鳴り響く岩笛を三度吹奏し、祝詞を奏上して二礼二拍手一拝の作法を行なった。比較的多いアフリカから参加者の大半は、作法を伴う神道の儀式を初めて眼にしたことでかなり関心を持ったようだった。

 イスラームはセルビア共和国が、キリスト教はアンゴラからの宗教者が代表して祈祷を行なった。彼は英語が話せず通訳を兼ねた秘書が同行していた。一緒に祈祷したことで神道に興味を持ったのか、英語の不得手な私と何故か親しくなった。彼はアンゴラ本国で200万人の信徒を束ねているという。何度か通訳を介して自分達の大祭に来るよう誘ってくれた。

 アンゴラ国土は日本の3倍以上だが人口は僅か1900万人に満たない。400年以上もポルトガルの植民地で、住民が奴隷として南米に送られ人口が増えなかったという。国民の半分以上がキリスト教徒。10年前まで内戦が続いていたが、現在はダイアモンドや石油の豊富な地下資源で急速に復興している。

 日本からアンゴラは遠い。大祭には行けないが、せめてポルトガル語に翻訳して貰った文面と、何度か一緒に撮った写真を添えてメールを送る積りでいる。
このように国際会議に参加すると各国の宗教者や政治家や官僚と知り合う機会に恵まれる。そして日本の神道が如何に世界に知られていないかを実感する。

 以前イスラエルでの宗教者会議では、白衣に袴姿を見たロシアの宗教者に「あなたは合気道の先生か?」と言われた。別な会議では私の儀式を見た南アフリカのマンデラ元大統領の娘さんに“東洋の神秘”と言われたが、神道を東洋のローカルで神秘な土着宗教のままにして置くべきではない。日本の神社界は神道教派とも連携して、神道理念を基軸に環境問題や宗教間融和などを国際社会に発信すべきではないだろうか。

 日本の神道は世界平和に貢献できる可能性を持つ宗教であると国際会議に参加するたびに確信する。また会議で神道と少しでも触れた各国の有識者からもそのような期待の声を聞くのである。  (宗教新聞 2月5日(土)号 転載)

 次回、ついでに昨年10月の「憂国烈士慰霊祭」参加で韓国行きになった経緯についてもふれておこう。

在日イスラーム教徒の墓地問題

  現在、日本は世界で最も少子高齢化が進んだ国だ。今後、当然考えられることは、介護の必要度の高い高齢人口の更なる増加、生産年齢層への社会保障負担の重圧、国の活力低下に繋がる若年層による労働力不足などが、大きな問題となる。日本に見切りをつけ海外へ移転する企業が増えると同時に、国内の不足する労働力を補うために、海外から来る人たちがますます多くなるだろう。これからは、宗教や習慣の違う人たちとどのように共存して行くかが問題となる。

  いま、在日・滞日イスラーム教徒(ムスリム)の墓地問題が深刻になっている。「イスラム教徒お墓不足、土葬可能な場所少なく」と今月14日付の読売新聞も報じている。ムスリムにとっては土葬が原則である。遺体はコーランの厳格な規定に従い右脇腹を下に、顔は正しくメッカに向け墓の中に収められる。これは神アッラーが下す審判を待つまでの、仮の眠りに就く姿である。コーランに地獄とは火が燃えるイメージで描写され、火葬は地獄的な懲罰であり、火葬による肉体の消滅は、来るべき終末の神の審判と救済の否定となる。
在日ムスリムは10万を越える。日本で死亡すると高額な費用を掛け遺体を故国へ空輸されることが多い。本来、世界各国に居住するムスリムは、長年過ごした土地に葬られる。

 だが、日本国内で埋葬できる墓地は、山梨・神戸・北海道などに限られており、東京都、大阪府、名古屋市など一部では衛生面から条例で土葬を禁じている。しかし、土葬が全面的に禁止されている訳ではないので可能性はある。今春から、中東の大使館に依頼されてムスリムの墓地用地を探し始めた。用地や既存霊園などを探してみれば、経営不振で譲渡を希望している霊園業者が多いことが判明した。なかには東京近郊の霊園で、開園後10年以上経っているのに、たった50数基しか販売されていない霊園もあった。夏草が生い茂り、放置状態だった。

 行政側の、土葬の許認可の壁は高いが、石油の安定供給のためにも政界に中東との友好を訴え、必ずやムスリム霊園の開園にこぎ着けるものと信じている。

真夏の8月3日…

今年の夏は例年より暑い。朝から今日も暑くなる予感。元新聞記者で永年に亘り陰陽五行を研究している友人から電話がきた。彼は平成16年の暮に『朝鮮半島2008の衝撃。金正日・破滅の日』を書き、ズバリ4年後に将軍様が半身不随となる重病説を言い当て、外務省や中国政府から情報の収集先を訊ねられている。

5、6日前に、警視庁の20名もが某大手教団にガサ入れを行ったらしいと云う。容疑はトップの金銭疑惑。相変わらずの早耳だ。真偽の程は不明だが、教団が現政権と近いことでマスコミには出ないよう手を打っていると云う。なんか、暑さが増しそうだ。

9時過ぎに家を出て、午前10時半から招かれていた「“ヨーロッパ有識者との”信教の自由と人権問題を語る」会議に出席した。会場は国会議事堂に近い衆議院憲政記念館。ヨーロッパからの20数名はじめ日本からは国会議員や大学教授、人権団体代表、宗教者など会議には60名程が参加した。

欧州からは現職の英国貴族院議員やマルタの国会議員、元ボスニア首相、イタリアの人権委員会事務総長、西ヨーロッパ連合元事務総長、オランダの州知事、スウェ-デンの大学教授、ドイツの神学者、オーストリアの宗教者、イスラエルの元聖公会主教などが顔を揃えていた。欧米人は自己主張が強い。人権問題に就いて活発な意見が飛び交った。欧州各国から来ているのにも関わらず、使用言語は日本語と英語のみ。このような会議に出席していつも思うこと。

“日本の英語教育”、もっと喋れるようにしないといけないなぁ~